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房一の態度が穏かだつたので、相手はいくらか落ちついた。
二人が男を抱き起して、レザア張りの診察台へつれて行つた。男は殆どされるまゝになつていたが、身体は案外自由が利くらしく片手をつかつて横になつた。そして又もやぱつちりと眼を開け、不安さうに房一を見上げた。
房一がそこへ出るのと、さつきの二人が表から入つて来るのと同時だつた。
「やっぱりチブスで?」
庄谷はあの冷笑するやうな白眼で、物好に訊きたがる人に答へた。
「せんせい!」
だが、急に機嫌をとり直した。そして、徳次が彼の口から聞くことでどんな表情になるかを期待しながら、ゆつくり相手の顔を見て云つた。
「いや、それが――」
浴客同士のあいだに親しみがあると共に、また相当の遠慮も生じて来て、となりの座敷には病人がいるとか、隣の客は勉強しているとか思えば、あまりに酒を飲んで騒いだり、夜ふけまで碁を打ったりすることは先ず遠慮するようにもなる。おたがいの遠慮――この美徳はたしかに昔の人に多かったが、殊ことに前にいったような事情から、むかしの浴客同士のあいだには遠慮が多く、今日のような傍若無人の客は少かった。
それで一たんは静まつたやうではあつたが、その中にはかへつて不気味な気配けはいが潜ひそまつていた。黒くかたまつた人達はその場を去らうとはしなかつた。房一が向ふへ行つている間に、構内の人影はすつかりいなくなつてしまひ、黒い建物の奥にちらついていた官舎の明りも見えなくなり、焚火も消されたが、それはしばらくするとちよろちよろと又燃え立ち、人気のなくなつた構内の庭を少しばかり明くしていた。が、下方では殺気立つた空気が暗らがりの中に暗く、圧するやうに籠つていた。あちらこちらに人はかたまり、がやがや云ひ、或る塊りは黙りこみ、その間を何人かが動き廻つていた。ふいに、投石したのかそれとも何か中の人が躓いたのか、建物の方でチヤリンといふ硝子ガラスのこはれる音が立つた。一所では焚火がはじまつていた。それは猛烈な勢ひで高く燃え上り、かこんだ人達の顔を赤鬼のやうに照し出した。が、すぐに制止され、小さくなつたが、又しばらくすると以前にまして燃え立つた。方々に大きい焚火、小さい焚火がはじまり、そのまはりに集つた人達はもうどうしても動く気配はなかつた。
云ひながら、道平はこれ又大いに気にかけていたことがあつさり片づけられてしまつたので、いくらか不服でもあり、手持無沙汰でもあるといつた様子だつた。
「さつき着いたばかりの新聞で見たんだがね、――堀内将軍がいよいよ凱旋されるさうだ」
「なんだつて、脳溢血?――そいつあ大変だねえ」